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子牛が産まれました

産まれた子牛はホルスタイン牛と和牛の交雑牛です

 

9月11日、和田地区の牛舎で子牛が産まれました。

牛の出産は人間と同様に妊娠期間が約280日で、また乳牛は妊娠、出産することで初めて乳生産が可能となります。乳生産量は分娩後1~2ヶ月でピークを迎え、以降緩やかに減少することから、妊娠期間と空胎日数を勘案し、分娩間隔が長くなりすぎないよう管理されます。出産後40~60日経過したら次の種付けを行い、おおむね1年に1回の分娩が一般的。
妊娠、出産した牛はその後280~300日の間、1日に20~30kg毎日搾乳を要し、飲水量は約100L、餌は青草で50~60kg、乾燥した草で約15kgを摂取。そして45~50kgの糞と約15kgの尿を排泄します。
酪農家の方たちは、連日朝・夕の牛舎掃除、餌やり、搾乳、そして集乳車の回収、餌づくりに加え、不定期で出産立ち合いを行うなど、まさに牛を中心とした生活を送っています。

この「酪農」については、南房総地域は酪農発祥の歴史があります。
日本酪農発祥の地である嶺岡牧(南房総市の朝夷・平群地域、鴨川市の長狭地域)は、元々は里見時代に軍馬育成を目的として運用されていました。
1614年に徳川幕府が里見氏の領地没収を行い幕府直轄の牧とし、引き続き馬や役牛の飼養繁殖が行われていましたが、1728年、8代将軍徳川吉宗がインド産白牛3頭をこの地に放ちました。そして、これらが繁殖し70頭余りとなった際、将軍家の薬用や栄養食品として「白牛酪」(牛乳と砂糖を混ぜながら弱火で煮詰めて作るキャラメル状のお菓子)を作るようになり、このとき始まった酪農が、現代の酪農に通じているとされます。
なお、白牛酪の製造は江戸雉子橋野馬方邸で行われましたが、交通手段の発達していない当時は、生乳の運搬が困難であったため、白牛を江戸まで連れていき、そこで搾乳、白牛酪製造を行う大変手間のかかるものでした。

私たちが日ごろから口にする牛乳は、酪農が始まった江戸時代から現代まで、酪農家の方たちの日々連綿と続く努力により成し得ています。

 

【関連リンク】
千葉県酪農のさとホームページ

南房総市ふるさと納税牛乳・乳飲料ページ